わたしの履歴書

 

1) 若かりし頃 (20代、日本)

 

 よく人に聞かれます。なんでライターになったの、そのきっかけは、と。答えは簡単明瞭、お金のためでした。つまり、賞金稼ぎだったのです。

 

20代のころ、よく懸賞論文募集だの、エッセイ募集だのに応募しました。人生一番最初に、文章を書いてお金をもらったのが、今からもう30年も前の30万円でした。当時にしてみれば、かなりの大金です。就職情報会社リクルートが会社創立記念の論文を募集していたのです。一等の賞金が50万円でした。それに惹かれて書き始めました。大学4年の秋学期のはじめ、締め切りが迫っていたものだから、授業中に一生懸命夢中で書いていたら、後ろに座っていた男子学生に背中をつつかれて、「お前、何しとうねん」と声をかけられたのを今でも覚えています。「これ、書いて50万円もらうねん」と言ったときの、彼の無言であきれたような顔が今も浮かびます。結果は1等入選者なしの2等でした。確か2等には二人選ばれたと記憶しています。やったあ、って感じ。もらった30万円で、12月に1ケ月のインド旅行に出ました。へえ、書いたら、お金がもらえるんや、と、これで味をしめたのが、売れないライター稼業の始まりです。

 

 確か、インド旅行中に、東京で授賞式があったんですよね。父親に、「授賞式に呼ばれるなんて、人生にもう2度とないやろにな。出られんと、残念やな」と言われました。「人生に2度とない、そんなことはないでしょ」と、あの時、反射的・本能的に心の中で抵抗しました。はい。おかげさまで、その後も授賞式とやらには何回か呼ばれました。電話の前で編集者とともに結果通知を待ち、発表があるとマスコミがおしかけ、そのあとは仕事に追われる、といった大層な授賞式は一度もありませんでしたけど。(これからも、それだけは一度もないでしょう)

 

 賞金稼ぎ時代から、私が学んだことー勝てる仕事というのは、書き終わったあと、何の思いもあとにひきづらないんですよね。つまり、気持ちがスカッと天までつきぬけているのです。書き切ったと空高くひきあげられていくような爽快感があります。そういう仕事ができたときは、作品を出版社に送ったあと、ああ、あそこをこう書いておけばよかった、とか、いや、こっちのほうがよかったかな、とぐちぐち思ったり、賞金が手にはいったら何に使おう、といった「とらぬたぬきの皮算用」も、また結果発表の日を待つということも一切しません。むしろ作品のことなどすっかり忘れてしまうのです。すると、ある日突然、編集部から電話があって、「おめでとうございます」となります。こっちは、はあ、なんのことですか、ぐらいの気持ちです。話を聞いていて、あ、そういえば。。。。と思いだす。それが勝った仕事の結果です。

 

 勝つというのは、自分が作品を貫き、消えてしまえるほどのインパクトと力をもつことのようです。その感覚を悟ると、賞金稼ぎで書いていても、書いている途中から勝てるかどうかがわかるようになりました。一人の若い人間の経験なんて知れてますから、賞金が稼げるような題材はそんなにたくさんあたりにころがっているわけではないからです。賞金を鼻先にぶらさげて、もっともらしく、みんなの手垢がついたような大層な言葉を並べたてるのは馬鹿らしくなって、ある日素直に、賞金稼ぎのもの書きはやめることにしました。

 

1976 12 日本リクルートセンター広告論文二席入選 (現金30万円)

 

1979  9 毎日新聞社発行「サンデー毎日」ノンフィクション (確か1万円の図書券)

 

1985  1 「マレーシアの熱い夏」日本交通公社発行 月刊誌「旅」日本旅行記賞佳作入選(授賞式が東京のJTB本社でありました。社長から賞状をもらいました。賞金は10万円だったかな。実は、賞金よりも、編集部の人と食べたうな重が印象に残っています。あんなにうなぎをたくさん食べたのは生まれてはじめてだったからです。重箱になってて、上下両方の箱にうなぎがいっぱいのってるのにはびっくりしました。)

 

1985 12 「靴とウエデイングドレス」 集英社発行 月刊誌「ノンノ」エッセイ賞佳作入選(授賞式が東京でありました。入選した女の子がたくさん来ていました。ノンノの編集長から賞状をもらいました。そのあとで、フランスレストランでパーテイがありました。おいしかったです。 賞金はいくらだったか忘れました。)

 

1986  3 神戸国際交流協会「アジアと日本」論文佳作入選(神戸のポートアイランドにあったビルの一室に呼ばれて、どこかのおじさんから賞状をもらいました。でも、賞金も賞品もありませんでした。文章は活字にもなりませんでした。)

 

1987  1 中央公論社発行「婦人公論」ノンフィクション

 

 

 

前のページに戻る  

 

 私の履歴書2、に進む

 

 

 

私の履歴書(1)若かりし頃 (20代、日本)

私の履歴書(2)カリフォルニア時代 (30代、1986−1992)

私の履歴書(3)サウスダコタ時代 (40代、1992−1999)

私の履歴書(4)イリノイ時代 (1999から現在まで)

 

 

 

 

 

 

 

 

私の履歴書(5)プレゼンテーション

icon_usagi_home_pink2