2005年10月17日
大和出版気付
中山庸子様

はじめまして。アメリカでフリーランスライターをしているデイ多佳子と申します。

先月中山さんが出版されました「小柄な女は運がいい」という本をこのほど拝見しました。それで、どうしてもお手紙を差し上げたくなりました。突然お便りする失礼をお許しくださいますよう。

実は、私は中山さんのご本と同じ頃に、「大きい女の存在証明―もしシンデレラの足が大きかったら」(彩流社)を出しました。中山さんが小柄な女性を対象にされたのに対し、私は大きな女性の悩みを書きました。私自身は176センチほどあります。
一番最初に本の題名を見た時は一種の苛立ちを覚えましたが、本の題名は出版社が売るための戦略としてわざと煽るようなタイトルをつけることもあるのをよく承知しておりますので、本の内容に関心をもって拝見しました。
読んではじめて、小柄な女性たちのさまざまな悩みを知りました。とりわけ仕事場での悩みにはびっくりするものがありました。読んでよかったと思っています。
ただ中山さんが書かれたことに対して疑問に思い、お手紙をさしあげたくなったのは、「小柄な女のほうが得」というコンセプトが本のあとのほうで顔を出していたからです。確かに、本の帯には、「155.5センチ以上の人は読まないでください」とあり、また「ハッピーの法則31」とありますから、ご著書は小柄な女性に対するエンパワーメントーつまり力を与えるために書かれたことはよく理解しています。私は、「読まないでください」とあるのに読んだというルール違反をした人間であり、部外者であるため、中山さんにしてみれば、私から手紙を、それも批判めいたものを受け取るのは不本意に思われるかもしれません。
しかし、ライターとして社会に問題提起した者としては、ご著書は、単に小柄な女性たちのみを対象にした、仲間内の「傷のなめあい、慰めあい」になることなく、より広いパースぺクテイブをもったものであってほしい、と願いました。そのあたりの気持ちは、中山さんご自身が、ご著書の中で、「大柄な女性との友情」を書かれてますし、わかっていただけるのではないか、と信じてます。

確かに加齢してくると、大柄な人間のほうが、膝や背中に健康不安がより早く現れるのは事実かもしれません。しかし、だからといって小柄なほうが「得」という考え方では、残念ですけど、中山さん自身が持たれている差別意識の表出となるのではないか、と感じたのです。それは、実は、中山さんが大和出版のホームページに書かれた連載第8回のところにも顔を出しているように感じました。つまり、小さい時は、中山さんは大きな同級生に憧れたけれど、この年になってみれば、憧れた人は「単に大柄なオバサン」になっているだけだ、とか、小柄なほうが若いと羨ましがられる、といった言葉にです。「得」だとか「羨ましがられる」といった気持ちは、他者を押し下げることで、自分たちが満足しようとする気持ちです。人間をヒエラルキーでとらえる差別意識につながるのでは、と私は思っています。ホームページの文章を読んだときは、「単に大柄なオバサンで、どこが悪いの」というのが私の最初の感情的な反応でした。

もちろん私は、中山さん個人を差別者だと非難するつもりではぜんぜんありません。どうか誤解なきよう、よろしくお願い申しあげます。というのは、こういうことは無意識なことであり、どこにでもころがっていることだからです。私は、自分の本の中では、女でも「男の目」をもっていることがある、と表現しました。そして、大柄であろうと小柄であろうと、女同士のほんとの連帯のためには、女としてこの「男の目」を打ち破るしかない、と書きました。たとえば、私が読んだ「150センチライフ」の著者は、おばあさんになったときは小さいほうがかわいいから大事にしてもらえる、みたいなことを書いていらっしゃいました。こういう目は、大きい女の気持ちを逆なですると私は思っています。なぜなら、私たちはどんなにしても、「かわいいおばあさんにはなれない」と同じ女から宣言されていることになり、それは男社会に媚び、おもねる目だと私は考えるからです。同じ女としては、寂しいことと思ってます

「小柄な女は運がいい」と励ましあい、仲間うちで通用するエンパワーメントの本は大事だと思います。でも、それだけでは、問題の本質的な解決にはなりません。小柄な女が「小柄でよかった、小柄なほうが得だ」と考え、大柄な女が「大柄でよかった、大柄なほうが得だ」を言い合うだけでは堂々めぐりであり、悩みの再生産を止めることはできません。私個人としては、自分に満足できる理由をいろいろ考え、仲間うちで励ましあうだけでは単なる自慰行為に等しいのではないか、それよりも、自慰行為を奨励して「強くなれ、強くなれ」を強要する社会を変える必要があると思っています。

私はアメリカに20年近く住んでいます。問題の多いアメリカ社会ですが、私がこの国に感謝しているのは、人それぞれの多様性をまっすぐに認めようとする精神が社会にはりめぐらされているからです。大柄であろうと小柄であろうと、太っていようと痩せていようと、みんなが自分を他者と比べることなく、自分をありのままに受け入れ、満足できる社会です。そのあたりの気持ちは、中山さんにもまっすぐに理解していただけるのではないでしょうか。中山さん自身が、ご著書の中で、「見られる自分ではなく、自分が何を見るか」を意識しよう、と書かれているし、また出版社のホームページにも、これからは「強さの裏付けがある優しさをもった大人の自分」をめざしたいと書かれていますから。。「得」だとか「羨ましがられる」という他人との比較の気持ちを自らの中から排除して、あらゆる人をありのままに受け止めようとする気もちこそが「強さの裏付けがある優しい人」の「自分が何を見るか」の視点だと思います。

長くなりました。申しわけないです。もし、ご興味があれば、私の本も手にとっていただけたらうれしいです。ご著書の中で、183センチの背の高い編集者に思わず、「学生時代は何の選手?」と聞いてしまった、と書かれていますね。そうです。男性でもいつも同じ質問で苦しんでいると知りました。女ならどんな思いをしてきたか、また知っていただけたら、と思います。

これからのご活躍を楽しみにしております。



デイ多佳子