リンカーンの国から

(26) ミルトンハウス  (ウイスコンシン)

 

 

 

Text Box:  イリノイ州北部、ミシシッピ河に流れこむロックリバー沿いの町、ロックフォードの町から30分も北に走れば、もうウイスコンシンである。ウイスコンシンに入ってまもなくの町、ジェーンズビルの近くにミルトン村がある。そこに、珍しい六角形の建物がある。かつての旅宿「ミルトンハウス」の一部である。昔は、この六角形の建物に、普通の長方形の建物が隣接して、ミルトン村の重要な役割を担っていた。馬車宿に、郵便局に、学校に、教会にと、いろいろな人々が集まる公共の場だった。

 

 ミルトン村を開いたパイオニア、ジョセフ・グッドリッチは、1800年マサチューセッツ生まれ。1819年に結婚、1821年にニューヨークにひっこしたものの、家族のために新しい場所を探したいとミルトンにやってきた。1838年のことだ。もちろんグッドリッチは頭がよかった。2本のインディアントレールがまじわるところに、小さな家を建てた。のちにトレールはこのあたりの幹線道路となり、交通が激しくなっていく。 馬車宿に、郵便局にと、家が町の公共の場となるのは時間の問題だった。そして1844年、コンクリートの家を建てた。全米最古のコンクリート建築物として、今も残っている。それがミルトンハウスである。 家のText Box:  近くには鉄道線路が今も走っている。奴隷を逃がすには好都合だったに違いない。

 

ホイッグ党党員のグッドリッチは、奴隷制反対論者として知られていた。通っていた教会ーThe Seventh Day Baptists-は、奴隷制を悪魔と考え、どんなことをしてでも逃亡奴隷を助けるようにと教えたという。自分たちの神に従わないよりは、法を破ることを考えたというから、信仰とはすごいものだ。

Text Box:   グッドリッチは、自分の家を逃亡奴隷のために開放していた。つまりミルトンハウスは、アンダーグラウンド・レールロードの""だったのだが、ミルトンハウスの正面入り口から泊まりに来る客の中には追っ手もいるかもしれないから、グッドリッチは用心に用心を重ねたという。

 裏庭に作られたログキャビンと、母屋であるミルトンハウスとは地下道でつながっている。アンダーグラウンド・レールロードの""で、実際に地下道があるのは全米でも珍しいため、観光客に公開されており、私ものぞいてきた。

 

Text Box:  まず、2階建てのミルトンハウスに入る。大きな家だ。蜂の巣の形の真ん中に煙突がある。効率的に家全体を暖房しようとするシステムである。さすが、グッドリッチさん。グッドリッチの人望が厚くなるにつれ、増築を重ねて村最初の公立学校となり、のちにはミルトンカレッジにまで成長した建物のあちこちをツアーガイドとともに見て歩いたあと、最後にやっと、部屋の片隅に作られた小さな秘密階段を下りて、冷たい地下室に来た。

Text Box:

 なんということはない、ただのコンクリートの小さな狭い空間である。が、遠い南部から必死の思いで逃げてきて、ここに密やかにかくまわれていた奴隷たちの気持ちは。。。想像しようにも、そのすべを私は持たない。追っ手が近いと知れば、この隠れ部屋から高さ5フィートの狭い通路を抜けて、キャビンへ逃れるようになっている。身をかがめ、石の壁にはりつくようにして狭く細長い地下道を通ったが、歩くのさえこれまた一苦労である。追われる身ともなれば。。。

 

 気がつけば、キャビンの床に作られた小さなドアから顔を出していた。石の階段が作られているが、昔はこの階段さえなかったのでは。地下空間にいたのはわずか数分のことだったが、地上世界は実にまぶしい。安全な時がやってくるまで、数日間も地下にとじこめられた奴隷たちはさぞ多かったText Box:  のではないだろうか。

Text Box:   ここで無事に時を稼いだ奴隷たちは、普通、ミシガン湖に向かって東に逃げ、奴隷解放論者が船長をしている蒸気船、たとえばリード船長の船や、スチュアート船長のミシガン号、スティール船長のガリーナ号などに乗り込んで、カナダに逃げていったという。

 

壁に残されているグッドリッチさんの肖像画からは、意志の強さがはっきりと感じられる。はるばる東部からやってきて、知らない土地で自分で村を作り、自分の信念を貫いて生きたパイオニア。アメリカに生きる者だけが知ることのできるその不屈のエネルギーをミルトンハウスで感じ、そしてアメリカという社会の魅力を見たのだった。