リンカーンの国から

 

(36)ケンタッキー州エリザベスタウンー父、新婚・再婚の地

 

 

 

エリザベスタウン。オハイオ川沿いの街、ルイビルから南へ小1時間。開発が進む新しい町である。

その町の片隅に、小さくも静かで、平和を絵に描いたような湖、フリーマンレークがある。地元の人が、気軽に週末に魚釣りに出かけるような湖である。

 

Text Box:  その湖畔に、大小二つの丸木小屋が建っている。パイオニアのハーディン・トーマスの家だが、小さいほうは1789年に、大きいログホームのほうは、1805年ごろ、ハーディン・トーマスの友達だったリンカーンの父親、トーマス・リンカーンが、家を作るのを手伝った、ということで、今「リンカーン・ヘリテージ・ハウス」という名がつけられて、レプリカが建っている。いい腕の大工だったトーマス・リンカーンは、家の中の階段やら暖炉やらも作ったとか。。腕のいい大工はほかにもいっぱいいただろうに、リンカーンの父親というだけで、その友達の家まで再現されるのである。すごい。観光案内にも書いてある、トーマス・リンカーンは普通の男だった、と。そうでしょ、そうでしょ。

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その丸木小屋の近くには、湖を臨む大木のそばに、小さな墓地が作られ、そのハーディン・トーマスが眠っていた。墓地のそばにあるのが、今度はサラ・ブッシュ・ジョンストン・リンカーン・メモリアルである。また別の小さな丸木小屋が作られ、「アメリカ史上で一番有名な義母の思い出のために」という石盤がおいてあった。122年前の木材で作られているとか。なるほど。リンカーンに大きな影響を及ぼしたのは、生母ではなく、義母かあ。。この丸木小屋は、トーマス・リンカーンがサラ・ブッシュにプロポーズしたときに、彼女が住んでいた家を記念するものだそうな。

 

サラ・ブッシュは、1788年ケンタッキー生まれ。9人兄弟の3番目で、2つの時に、家族とエリザベスタウンに移ってき、ここで育った。18歳の1806年に地元のダニエル・ジョンストンと結婚、10年の結婚生活で、二人の娘と息子1人を育てたが、1816年、ダニエルがコレラで死んだ。1818年に丸木小屋を購入、子供を育てたのだが、再現されているのは、その丸木小屋である。

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リンカーンの父親、トーマスがこのエリザベスタウンにやって来て、土地を購入したのが1803年。サラとトーマスは顔見知りだったが、サラがダニエルと結婚した頃、トーマスは以前住んでいたスプリングフィールドに戻って、ナンシーと結婚。そして翌年、いっしょにエリザベスタウンに戻ってきて、1807年に最初の子供ーつまりリンカーンの姉、サラ・リンカーンーが生まれている。その後、リンカーン一家は、エリザベスタウンから20マイルほど東のホッジェンビル近くのシンキング・スプリング・ファームへ、それからそこから10マイルほど南のノッブクリークファームへと引越しを重ねる。ちょうどサラ・ブッシュの旦那が死んだ1816年には、リンカーン一家はケンタッキーを離れ、インディアナへ。

 

Text Box:  それでも、二人はきっと「赤い糸」で結ばれていたのだろう。インディアナに引越してから2年もせずに、トーマスの妻、ナンシー・ハンクスが死亡したため、1819年の秋、トーマス・リンカーンは、二人の子供をいっしょに住んでいた従兄弟に預けて、ケンタッキーに、エリザベスタウンに戻ってきたのである。そして、サラ・ブッシュが3人の子持ちーエリザベスとマチルダ、そしてジョンーの寡婦になっていることを知ると、いっしょにインディアナに来て、子供たちをみんないっしょに育てようと、結婚を申し込んだのだった。

二人の再婚は1819年12月2日、エリザベスタウンにて、もちろん丸木小屋で、だった。

その後、すぐに二人は、サラの3人の子供たちといっしょに、家財道具一式を荷車に積んで、インディアナに向けて発った。サラは二度とケンタッキーに戻ることはなかった。

 

この地を訪れて、一つはっきりしていること。。。パイオニアたちはいつも水のそばで暮らしていた。。今もって美しい場所である。パイオニアの生活は大変だったろうけれど、美しい自然がその苦難を癒してくれることもあったのでは。だから、パイオニアになれたのではなかっただろうか。