イリノイこぼれ話

 

ディベート考

 

 

世間は、来月の大統領選をにらんで、民主党候補オバマ氏と共和党候補マケイン氏のディベートやら、副大統領候補ディベート、とりわけ初の女性候補のぺイリンさんの発言に耳目を集めているというのに、私はちょうど150年前のディベートの虜になっていました。(笑)リンカーンと政敵、スティーブン・ダグラスのディベートです。といっても、1860年の大統領選のディベートではありません。1858年、イリノイ選出連邦上院議員の席をめぐる選挙のディベートです。

 

ホイッグ党のリンカーンと民主党ダグラスは、1834年、リンカーンが24歳ではじめて州下院議員に当選したときに、12月の州議会で出会っています。当時ダグラスは21歳。ヴァ−モント州出身で、前年の1833年、20歳の時にイリノイにやって来たばかりなのに、すでに州議員に選ばれ(かなりの人材不足だったんだね。。笑)以後、1835年には州検事1836年から1837年までは州の院議員、1838年には早くも連邦下院議員を狙ったが失敗1840年、41年の州議会でイリノイ国務長官と州最高裁の判事に選ばれ1843年から1847年まではイリノイ選出の連邦下院議員、1847年から南北戦争が始まる1861年までは連邦上院議員と、リンカーンとは比べものにならない華やかな経歴です。1852年と1856年には、大統領選の民主党候補指名を争ったがなれず、1860年にやっと念願かなって指名を獲得したのに、リンカーンに負けて、翌年の1861年6月3日、腸チフス熱か急性リューマチかでシカゴにて死す、という波乱万丈さです。わずか48歳の若さでした。8年もの州下院議員と連邦下院議員一期しか務めていなかったリンカーンに、大統領選で負けるなんて、さぞ悔しかったに違いありません。

 

なぜ経験不足のリンカーンがダグラスに勝つことができたのか。(このあたり、オバマ氏を思い浮かべていました。笑)勝因は、1858年のディベートにあります。戦略家リンカーンは、売名にダグラスの知名度を利用しようと、ディベートを申し込みました。ダグラスは、リンカーンの意図を見抜いていたに違いありません。でも、逃げるのも悔しい。。というわけで、7回のディベートに応じました。イリノイ各地―オタワ、フリーポート、ジョーンズボロ、チャールストン、ゲールスバーグ、クインシー、アルトンーで激しいディベートが繰り広げられました。ディベートは、近隣のお百姓さんたちにとっては格好の娯楽。お祭り騒ぎで、ディベートを聞きに行ったようです。でもまあ東西南北、7つの町全部を訪れたのは、リンカーンとダグラス、両党の選挙運動員たちに幹部、テレビもマイクもない時代に必死でディベートを書き取った全米の新聞記者、そして私ぐらいでは。(笑)そして、ディベート集を読みながら、思ったのです。合衆国憲法やら独立宣言の解釈をめぐる、こんなむずかしい法律議論を、ディベートを聞きに来たお百姓さんたちは分かったの。私の偏見に満ちた答えはノー。(笑)

 

ディベートを読む限りでは、リンカーンの勝ちです。でも、イリノイ州議会が選んだのはダグラスでした。政治なんてそんなものだよね。。と思うと、来月の大統領選からはますます目が離せません。ディベートは、リンカーンの思惑通り、リンカーンの存在を全米に知らしめ、かつ奴隷制に関する持論に更に磨きをかけ、大統領への道を確保する絶好の機会となりました。一方、ダグラスの民主党は北部と南部に分裂、弱体化してしまいました。(このあたり、オバマ氏とクリントン氏の論戦を思いました。。笑)で、私は思ったのです。現代の政治世界で、これだけの議論を戦わせ、打ち勝つことで、権力を握る政治家っているのだろうか、と。とりわけ、日本では??(笑)

 

アメリカはねえ、新らしい国だからねえ、と、まるでアメリカ人は単純で馬鹿だと言わんばかりに、歴史の短さを揶揄する声を日本人から聞きますが、リンカーンとダグラスのディベートを読んだとき、法律家同士が議論を戦わせて創っていく国家への理解は、普通のアメリカ人にとってすらいかにむずかしいか、を思わざるを得ませんでした。日本の政界では、二世議員が大半を占めているとか。いつ頃のことだったか、蘇我氏だか中大兄皇子だかが生きていた時代、彼らが「我、大和、中国の文物を取り入れることで、中国の属国になる恐れありや。その是非を問う」とディベートをしたことって、あったのでしょうか。(笑)

 

そして、現代のディベート。オバマ氏とマケイン氏のディベートは歴史に残りそうですか。

昔の人は偉かったと、リンカーンとダグラスのディベート集を読んで、私は思いました。1858年にはリンカーンに勝ったけれど、1860年の大統領選では、候補者4人中4位だったダグラス。南北戦争が始まると、リンカーン支持・支援を全米各地で訴えたそうです。

 

政治家たるもの、内心の忸怩たるものを超えるー「ランド・オブ・リンカーン」を彩ったもう一人の大物政治家、スティーブン・ダグラスの立派な墓所が、シカゴ南部にあります。