インタビュー記事    

 

第45回シカゴ国際映画祭 出品作品 「ディア・ドクター」

西川美和監督インタビュー 2009年10月20日 シカゴにて

 

 

 

庭のもみじが真紅に輝く頃、シカゴに国際映画祭がやってくる。45回を数えた今年の映画祭で上映された日本からの作品の一つが、西川美和監督の「ディア・ドクター」である。

予備知識はほとんどもたずに、ただ無心に見た。そして、圧倒された。その骨太なつくりに、俳優たちの魅力と日本の山里の美しさに、そして何よりも、社会派ドラマであるにもかかわらず、人間に対する冷徹かつ優しい視点で、人間世界の不条理を繊細かつていねいに描ききった監督の力量に。。映画館を出て思った、この人はただものじゃない、会ってエネルギーを分けてもらえたらなあ。。。

                             

上映がはじまる1時間前、傾きかけた、秋の柔らかい陽ざしがさしこむ窓際のカフェのテーブルに、逆光の中、西川監督の姿があった。近寄って、顔を見てびっくりした。すごく若い。それも凛とした顔立ちである。見抜かれる、と、一瞬にして言葉が走った。(笑)

いよいよ映画が封切られて、今はどういうお気持ちですか。
実は、作る側としては、もう忘れて、次回作を考えなければならない時期なんですけど。

もう終わっているのである。作品によって自らが突き抜けられたからこそ忘れることができるーそんな創造する才能とエネルギーが、一番最初に口から出た言葉からあふれていた。映画自体の完成は去年の秋。2006年の発案から1年半をかけて脚本を書き、実際の撮影は40日ほどだったという。今年6月末に日本で封切りされた。

―海外での反応はいかがですか。
9月初めにモントリオール国際映画祭へ招待され、先週は釜山でも上映されました。昨夜の上映でも満席となって、35人ほど帰ってもらわなくてはならなかったのは残念でした。質疑応答では、着想はどこからか、とか、なぜ医者を選んだのか、とか突っ込んだ質問が出て、リアクションが早く、新鮮で楽しいです。配給が決まって、全米で公開できるようになってほしいです。

―確か、小説「きのうの神様」が映画の土台になっているとか。
いえ、僻地医療を題材にしてはいますが、映画のストーリーとはまったく関係がないんです。研修医の5年後とか、映画の中のエピソードが膨らませてあります。 脚本と小説は通じるものがあるんですが、脚本はやはり、映画の製作予算とかに縛られる部分がある。でも小説は、映画にできないことができる。二つを同時進行させ、呼応させることで、お互いを膨らませました。

そして、小説「きのうの神様」は直木賞候補となった。前作の「揺れる」は、映画完成のあと、出版社の意向で、監督の手で小説化され、三島由紀夫賞候補である。映画と小説という二つの異なる世界を縦横無尽に繰る才能に、明確な問題意識と人を見る厳しくも優しい視線が重なって、重層的かつメリハリのきいたストーリー展開となる。

ぽつんと世界から取り残されたような美しい山里。人生を静かにいつくしんでいる住民たちに慕われていた、村でたった一人の医者が突然失踪。事件として調べる刑事たちの無愛想な声と顔で始まる映画の導入部は、ハーモニカのやるせなげな音色とともに観客をぐいとひきこむサスペンス仕立てである。実になめらかな誘い(いざない)である。

―監督は、頭がいいですね。(思わず、言ってしまった。笑)

小説より映画のほうが圧倒的にしんどい。大きな予算とたくさんの人間を扱うので、責任が大きく、プレッシャーがかかるけれど、それだからこそ、が映画を作る魅力ですね。

 
―「ディア・ドクター」と、タイトルが英語になっているのはなぜですか。
手紙の書き出しですね。手紙を書いているような、優しい映画を作りたいと思ったのです。私からお医者さんへ"医療とは何ですか"と尋ねたい気持ちや、親子、映画の中では娘が医者なわけですが、医者の娘と病人の母親が互いを思いあう気持ちとか、もちろん患者と医者の交流とか。医者へのコミュニケーションツールとして手紙という設定です。

―すごいな、と思うのは、過疎地の医者不足という非常に深刻な社会問題を扱うのに、救急車が足りない!みたいに糾弾するのではなく、優しく包み込んだストーリーだけど、肝心な部分には深く切り込んで、しっかりと問題提起するという、その硬軟あわせもった語り口ですね。しかも見終わって、すごく心あたたまる気持ちになれる。そういう語り口は、ものすごくむずかしいと思います。

そう言っていただけて本望です。テーマが重いですから、ドキュメンタリーにすると、見るのがめんどくさくなる。そこをフィクションの力で、エンターテイメントにころがし、問題に興味のなかった人にでも、関心を持ってもらえるようにしなければなりません。いっぱい勉強しましたよ、もう忘れましたけど。。(笑)

ひきしまった口調がふっと和らぐ。数カ所の僻地の診療所で泊り込みの取材を重ね、研修医レベルの本も読破したという。創作は“たゆまぬ勉強"と同義語である。

―落語家鶴瓶さんのパーソナリティが大きな力を発揮したと思うのですが、彼を俳優として使うことに不安はなかったのですか。

全然なかったです。お忙しい人ですから、映画に集中してもらえるものなのか、彼のスケジュールだけが心配でした。彼の古典落語を聞きに行ったんですよ。一人で何役もこなし、芝居として自己演出するそのすごい力量にびっくりしました。出演してもらって、何も心配することはないと。日本の芸能界で30数年走り続けてこられた人ですから、映画の中の主人公の気持ちは、一番よくわかっておられるのではないかと。ピエロになるつらさですよね。撮影中も、住民の方々と親しく交流されてました。映画の中の医者、伊野は、彼の""です。

村の診療所で、伊野の下で働く看護婦(余喜美子)。伊野の正体に気づきながら、病気の息子を抱えて懸命に生活を支えている。自分の死期を悟った母(八千草薫)は、医者である娘(井川遥)に嘘をついてくれるよう、伊野に頼む。医者だった父親との確執を抱えて生きてきた伊野。永遠の別れを前に、「嘘」はどんな意味をもつのだろう。

 

映画の公式サイトは呼びかける、「人は誰もが何かになりすまして生きている。その嘘は、罪ですか。」 誰に答えられようか。“生きる”には哀しさがつきまとう。その哀しみを乗り越えるとき、生まれるものがある。映画の中で、医者である娘は言ったー伊野さんなら、母にどういう風に死を迎えさせたのか、知りたいと思います。

「病気は、全部治せるわけじゃないですよね。医療倫理ゆえに、できないことがある。親子、夫婦だったらできないことがある。でも、無責任な偽者だからこそできることってあると思うんですよ。」
「医者もいない、あんな僻地になぜしがみつくのか、と思う人がいるかも知れない。でも、生まれ育った場所で心が落ち着き、ここで死ねればいいと言える、それが幸せではないのかと思ったりするんですよ。覚悟がいることで、痛みを伴うけれど、都会にはない豊かさです。」


そして強さでもある。伊野は、都会から来た研修医、相馬(瑛太)に言ってきかせたー自分は何もしていない、ここの人が“ない”ことをありのままに受け入れてるだけなんだよ。その強さはやがて、優しさに裏打ちされた悟りへ。映画のラストシーン、死を前にした八千草薫の美しい微笑が余韻となって、観客の心深く沁み入っていく。

―監督がこれからも追求し続けたい、創作の核となっているテーマは何でしょうか。

人と人とのコミュニケーションですね、やっぱり。すれ違いの面白さというか。安心して信じていることを疑ってみるというか。。

監督の顔がほころんだ。若い人のそんな裏をかくような視点が、これからの社会を新しく変える。西川美和監督、35歳。

ジャズやブルースとともに育ち、映画を尊敬してきた女の子が、23歳で助監督を、27歳から自作の脚本で映画を発表するたびに、さまざまな賞を受けるという実力派である。好きな映画は「クレイマー・クレイマー」やシドニー・ルメット監督の「12人の怒れる男」。美しさの影に、頑固なまでの気骨を秘めた社会派と見た。

 

―どうですか、シカゴは。

アメリカは、ニューヨークしか行ったことがなかったんですよ。シカゴはすばらしいですね。町はきれいし、人はすごく親切です。


猫も杓子も携帯電話、というこの時代に、医者に手紙を書くという発想で映画を作る監督の鋭敏な感性と問題意識、そして物語を紡ぐ才能は、次はどんな作品のなかで輝くのだろうか。

ぜひ、またシカゴ国際映画祭でお会いできますように。ありがとうございました。