大西部の日本語教育

 

 

中西部にある過疎の農業牧畜州サウスダコタ。日本の半分の面積に人口が70万というこの州では、白人が人口の90%を占める。多民族社会からはほど遠く、ここで少数民族といえばインディアンを指す。

ロデオとカウボーイ、バッファローにインディアンという大西部からは、ニューヨークやロサンゼルスが同じアメリカにあるとは思えない。

 

若い学生たちの中には、「結婚するまではセックスしない」と臆することなく広言する者もいて、カリフォルニアの友人からは「そこはアメリカじゃないよ」と笑われるほど保守的な土地柄である。

毎日驚きを新たにしながら、人口6万人の州第二の町ラピッドシティの大学で、州唯一の日本語クラスを教えるようになって丸6年が過ぎた。そして、”Middle of  Nowhere”のこの地でも、最近、時代の変化がはっきりと感じられるようになった。

 

日本のバブル経済が終末期を迎えていた1992年に、勢いにのった日本人ビジネスマンがこの町に日本旋風を巻き起こした。姉妹都市交流が始まり、州唯一の観光名所、4人の大統領像マウントラシュモアを訪れる日本人観光客も増えた。姉妹校プログラムで、地元の中学・高校生は日本を訪問、町の高校のひとつでは、スペイン語を教えるアメリカ人教師が日本語を教えはじめた。

同様に、大学の日本語クラスも様変わりした。6年前は10人そこそこだった学生が、今では1クラス50人を超えた。

 

しかし、この1年ほどのあいだに、“日本フィーバー”の潮は確かに引き始めた。バブルの崩壊後、日本人ビジネスマンの姿はもう見かけない。高校の日本語クラスは学生数が足らず、来年度の開講は見送られた。大学も予算不足で、学生の数は増えても質の向上は望めない。日本語による読み書き、聞き話すの4技能の習得など望むべくもない。高校卒業・大学入学に外国語履修が義務づけられていないこの州では、外国語教師とりわけ日本語教師の無力感は大きい。

一世帯あたりの年収が3万ドル以下の家庭が全体の80%を占めるこの町では、「日本フィーバー」もしょせん、ほんの一握りの富裕層を楽しめただけのあだ花だったのか。しかし、せっかく始まった日本語教育である。なんとか根付かせていくには、日米の経済活動と連動した外国語教育としてではなく、むしろ閉鎖的な単一文化風土に風穴をあけるべく、多民族文化尊重主義の視点が必要なのではないだろうか。

 

その意味で、この6年のあいだに、日本語クラスにインディアン学生が増えてきたことは意義深い。

サウスダコタは、ハリウッド映画が好んで描いてきた、頭飾りをした獰猛勇敢な平原インディアン、ラコタ族の本拠地である。白人キリスト教文化世界への同化を強いられ、今も失業と貧困、厳しい人種差別に苦しむインディアンたちが、やっと学士第一世代と呼ばれる、家族の中ではじめて大学に進学する若者たちが現れはじめた。

 

生き残りをかけた同化への求心力と、抹殺されかけた自分たちの伝統文化を取り戻そうとする遠心力の間で、いかにバランスをとるか。私は、インディアン学生たちのアイデンティティを意識しながら、学期の終わりには次のようにクラスに呼びかける。

「あなたたちの中には、これから日本人と仕事をしたり、日本へ行く人がいるかもしれない。しかし、日本へ行かなければ日本文化に触れられないのではない。特にここには、ラコタ文化があります。ラコタ文化と日本文化には多くの共通点があります。集団主義、家族の強い絆、循環型の自然観、戦士文化と死生観、沈黙を厭わない非言語コミュニケーションの重視、環状思考の言語など、あなたたちの個人主義や英語思考とは対極にあるものです。あなたたちは、3ヶ月のあいだ我慢して、日本語と日本文化につきあってくれた。その同じ忍耐と寛容の心で、ラコタ文化への理解も深めていってほしいのです。」

 

地域のインディアン文化・社会と連帯しながら、より広い視野に立つ日本語教育の模索―日本フィーバーが去ったこれからが、本当の正念場である。