ワシントンDC1.18反戦デモに参加して

 

 

 

 

1月17日午後5時、風の町シカゴの零下10度の寒気の中、ミシガン湖畔に大型観光バス8台が停まっていた。翌18日、首都ワシントンDCで開かれる反戦デモに、600人近い老若男女がバスをつらねてのりこむのである。

 

 「アメリカは傲慢だ」との日本の友人たちのメールから判断するに、日本のメデイアはアメリカ政府の動向を追うだけのことが多く、あたかもアメリカ人全員がイラクとの戦争を望んでいるかのような印象を与えているらしい。が、テレビに流れる情報と現実のあいだにはギャップがある。それは、最近確実に広がってきていた。

 

 たとえば、一週間前の1月11日にも、シカゴで2000人参加の反戦デモがあった。しかし、地元紙「シカゴ・トリビューン」には一切記事は出ず、小さな写真一枚のみが掲載されたに終わった。ライアン前州知事の死刑囚156人一括減刑ニュースの陰に隠れてしまったのかもしれないが、地元紙とは思えない扱いだった。同11日、ロサンゼルスであった1万人規模の反戦デモを伝えたのは、地元紙「ロサンゼルス・タイムス」紙のみ。シカゴ・トリビューンもニューヨーク・タイムスもデモの存在を無視した。基本的に日米マスコミは、アメリカ政府に同調するメッセージしか発信してこなかった。

 

 が、私が今住む人口4万人の小さな町でも、毎週金曜日、街頭で反戦を訴える小さな活動が何ケ月も続けられている。大マスコミがとりあげないところで、草の根のアメリカ人の力と意思が蓄積され続けてきたのである。大衆操作というメデイアのトリックに気づけば気づくほど、私の中には確固とした思いが生まれていた。

 

 ワシントンへ行くと告げると、在米日本人の知合いからはまゆをしかめられた。外国人なのにこの国で反戦活動するなんて、へたするとFBI(連邦捜査局)に目をつけられて、グリーンカード(労働許可証)を取り上げられたり、将来市民権をとりたい時に支障がでる可能性もあるかも、と注意深さと臆病さのあいだを往来する言葉を並べられた。話を聞きながら、その時私は、アメリカで生まれ育ったアメリカ人である娘のことを考えていた。アメリカという国のこれからの姿は、娘やその家族に大きな影響を与えるだろう。娘の、またその子供たちが生きる将来を考えたとき、私が外国人であろうとなかろうと、今はっきりと意志表示することは現在を生きる人間の責任ではないのだろうか。アメリカ人の義理の家族からも、「多佳子は家族を代表している。行ってくれてありがとう」と励まされた。人間としてするべきことをしているという確信をもって、私はワシントンDCまで約12時間かけて走り続けるバスに乗りこんだ。バスは、空席待ちをする多数の人々を路上に残したまま、夕方6時、シカゴを出発した。

 

 今回の反戦集会は、2001年9月11日のテロの3日後に結成されたインターナショナルA.N.S.W.E.R.(Act Now to Stop War & End Racism)が主催したものだ。バスのチャーターは、ワシントンDCと同日のサンフランシスコでのデモに向けて、全米45州200の都市で組織された。

 

 バスは翌朝10時に、連邦議会議事堂とワシントンメモリアルにはさまれたナショナルモールの会場に到着した。すでにあたりには、人々が持参、打ち鳴らすドラムの低くも力強い音が響いていた。足元に雪が残る土を踏みしめた人々は、ドラムのリズムに合わせてプラカードを頭上高く振りかざした。「冬の零下の空気なんて、戦争で命を落とす人のことを考えれば大したことはない」−そんな声が聞えてきそうな熱気に満ちていた。

 

 待つこと約1時間、モールはあちこちの方角から集まってくる人々でやがて埋めつくされ、大群衆となった。11時すぎ、壇上から演説が始まった。

 

 政治家たち、宗教家たち、労働組合のリーダーたち、市民運動家たちなど40人以上の人々が大群衆に向かって、次々と熱い思いを、固い意思をマイクにぶつけ、訴えた。1967年から69年のジョンソン時代に司法長官を務めた75歳のラムジー・クラークが、「証拠はある。ブッシュを弾劾しよう」と強く政権を非難するかと思えば、女優ジェシカ・ラングは「有名人としてでも女優としてでもなく、ただの母親としてアメリカの女としてここに立つ」と話しはじめ、最後には涙を浮かべて、「ブッシュさん、アメリカの恥を次の世代の子供たちに引き継がせるわけにはいきません」と力強く宣言した。

 

ジェシー・ジャクソン師が、「テロの拡大を防ぐためには対立よりも交渉を」と故マーチン・ルーサー・キング師の平和主義を訴えると、群集は「King Hope Alive] と大声で何度も唱和した。トム・クルーズが主演した映画「ボーン・オン・ザ・ジュライ・フォース」の原作者ロン・コービックは、35年前のまさしくキング師の誕生日にベトナムで撃たれ、下半身を失った。車椅子で壇上に上がったコービックは、片手を振りあげ、「困難な時代をあきらめてはいけない。生まれ変わるのだ。ここにきたのはあなた方の運命だ、あなた方はこの国をとり戻すために生まれてきたのだ」と人々を激励した。

 

 ベトナム戦争時代以来最大の規模といわれ、20万から50万とも言われる人があつまるデモとなった。しかも、デモといえば理想主義に走る学生や過激派、一部の活動家のものというイメージがあった1960年代のそれとは大きく様変わりしていた。そこには、若い学生から高齢者、子供連れの中年夫婦から乳母車に赤ん坊をのせた若い夫婦まで、あらゆる年代と階層、人種、宗教的・政治的背景をもつ人々が集まっていた。戦争が解決するものは何もないという思いが人々をつなぎ、全米から結集させたのがありありと感じられた。そして、その草の根の平和への思いこそが、一昨年の9.11以降高まってきた「アメリカ人の誇り」であることもひしひしと伝わってきた。ブッシュ政権のいいなりになるだけが愛国心ではないという「アメリカの良心」とも呼ぶべき意識がそこにはあった。

 

Text Box:  

 動員がかかって駆り出されてきたといった感は全くなく、一律に作られたポスターを掲げている人は非常な少数派だった。個人が自分のメッセージという自己表現に責任をもつ社会である。思い思いに手作りしたプラカードやコスチュームが発信するメッセージが多様であればあるほど、反戦意識の高まりの広さと深さを雄弁に物語る。

 

「Money for Jobs not Wars」 「Enemy at Home」 「Fund Schools not Wars」 「Healthcare not Warfare」と 国内状況の充実を訴える人々がいれば、「Save Us from Mad King Bush」「Dump Bush Not Earth」「Drop Bush Not Bombs」とブッシュ政権を痛烈に批判する人がいた。アフガンやイラクの子供たちの写真を掲げて、人道的な立場から戦争に反対する人たちがいれば、「No War for Oil」 「No Blood for Oil」と、軍需産業や政治家を潤すだけの石油利権を狙う戦争に反対する人たちがいた。どんなにマスコミが情報操作しようとも、人々が今回の戦争がいかに醜く、欺瞞に満ちたものになるかを悟っているのは明らかだった。

 

 

 

Text Box:  メッセージの中には、めりはりがきいて、鋭い辛口のものもあった。「Take the War Toys From Mr. Junior」「Barbara, Tell George Not Play With Guns」「Sex Toys Not Wars」といったメッセージは、人々の明るい笑いを誘っていた。深刻になるだけがすべてではない。ユーモアは、自らに確信している民衆の底力ともいうべきものかも知れない。 演説は2時間半以上えんえんと続いていた。が、午後1時半すぎ、主催者の呼びかけで、大群衆は少しずつゆっくりと2マイル先の海軍造船所をめざして行進を始めた。シュプレヒコールとともに、再び人々は歩きながら声を上げた。「No More Wars」「People Are United, Not Ever Divided」「This Is What Democracy Looks Like」 「ブッシュは本当にテロリストと戦うつもりなのか」と若者が拡声器で叫べば、大群衆が応じた、「ノー」。エネルギーが渦巻いていた。

 

 

 

 

Text Box:

みんなと声を合わせて歩いていると、時折日本人の参加者とも出会った。ニューヨークに住む研究者だという中年男性がいた。恋人らしきアメリカ人と歩く若い日本女性がいた。そんな中、大きく漢字で白地の布に「戦争反対、War Is Murder」と書いた横断幕をもって行進している3人の若い日本女性たちに会った。二人はニューヨークから、一人はワシントンに住んでいるという。デモに参加した理由について、彼女たちの一人は、日本国民としてどうしても参加しなければ、と思ったという。「アメリカのする戦争には、当然日本もまきこまれるわけですね。世界で唯一の被爆国として、日本はもっと反戦を声高に叫ぶべきです」。外国人がここに参加することについてどう思うか、と水を向けると、「そんなこと、関係ないですよ。戦争の非人間性を考えたら、戦争反対は当然です。」彼女は即答した。

 

行進中、一ケ所で、反デモ派数人が、アメリカ政府を擁護するプラカードを持ち、行進中の若者たちといい争う場面もあった。が、警官たちがしっかりとガードし、暴力沙汰になることはなかった。非常に大規模で平和的、かつ力あふれるデモだった。ブッシュ政権を支持すると公言しているニューヨーク・タイムス紙ですら、1月20日付けの社説で、反戦意識がアメリカ国民のあいだで無視できないところまで高まってきていると認めた。

 

** 参考 **

 

 A.N.S.W.E.R.(Act Now to Stop War & End Racism)― 戦争をストップさせ、人種差別をなくすために、今行動しよう。

 「King Hope Alive」 ー キングの夢は生き続ける

「Money for Jobs not Wars」ー 戦争ではなく雇用のために予算を

「Enemy at Home」ー 敵はこの国にいる

「Fund Schools not Wars」ー 学校に予算を

「Healthcare not Warfare」ー 医療保険制度を充実せよ

 「Save Us from Mad King Bush」ー 狂気の王ブッシュから自らを救え

「Dump Bush Not Earth」ー 地球ではなくブッシュを捨てろ

「Drop Bush Not Bombs」ー 爆弾ではなくブッシュを落とせ

 「No War for Oil」ー 石油のために戦争するな

「No Blood for Oil」ー 石油のために血を流すな

 「Take the War Toys From Mr. Junior」ー(ブッシュ)ジュニアから戦争のおもちゃをとりあげろ

「Barbara, Tell George Not Play With Guns」ーバーバラさん(ブッシュの妻)ジョージに言ってくださいよ、銃で遊ぶなって。

「Sex Toys Not Wars」ー戦争じゃなく、セックス玩具をくれ

 「No More Wars」ー 戦争反対

「People Are United, Not Ever Divided」ー みんな団結している、二度と引き裂かれない

「This Is What Democracy Looks Like」 ー これが民主主義というものだ