「イリノイ探訪」

チェスター

 

 

 最近、人生の核を作ってしまうのは、幼児期から小学4年生ぐらいまでの体験ではないか、という気がし始めた。確かに「三つ子の魂百まで」で、遺伝子が決定する部分は大きいだろうし、また感受性の鋭い思春期の経験が、その後の進路決定を大きく左右することは十分にありうる。がそれでも、せいぜい10歳ぐらいまでの、自分で価値判断ができない時代の出来事は、何やら掛け値なしの純粋な体験となって、身体に刻みこまれてしまっているような気がするのだ。

 

 私が「ポパイ」という言葉を聞いた時がそんな感じだった。何十年も思い出したことがなかった言葉なのに、突然「ポッポー」という、煙とともにポパイのパイプから吐き出される音を思いだし、次の瞬間には、番組の提供をしていた某菓子メーカーのコマーシャルが長すぎるとぶつぶつ言っていた、今な亡き父親の声が聞えてきて、それから、「ポパイ」のあとに「サンセットセブンセブン」が始まるのだが、細身のかっこいいお兄さんが胸のポケットから櫛を取り出し、柔らかそうな髪を横にといた途端、父親が「もう寝る時間や」と、私を自分の部屋に追いたてたことまでを一気に思いだしたのだった。「ポパイ」が終わる日曜の夜9時が、大人と子供の境界線だった時代だった。

 

 ところで、配偶者に「サンセットセブンセブン」と言うと、げらげら笑われた。あれは「セブンテイセブンサンセットストリップ」だったそうだが、国際化などという言葉は存在しなかった時代の小学生に英語が分かったはずはなく、私にとっては永遠に「サンセットセブンセブン」である。

 

 ポパイは、当時の私にとって「アメリカ」そのものだったろう。だから、イリノイ州南部にあるチェスターがポパイ発祥の地だと知ると、矢も盾もたまらぬ思いに駆られた。もう一度、何も思いわずらうことのない気楽な子供時代に戻れるような、そんな安心感が「ポパイ」にはあった。

 

 チェスターへの道すがら、両側に広がる畑風景に私は、「ほうれん草が植わってるのかな」と声を上げ、「チェスターへ行けばきっと、ほうれん草のパンケーキみたいなポパイ焼きが食べられるよ」などとウキウキと言ってみたが、横で車のハンドルを握る配偶者は、「何で今ごろポパイやねん」と言わんばかりに、冷ややかに横目で私をちらりと見るだけだった。

 

 チェスターは、1819年にミシシッピ川沿いに出来た、人口8000人ほどの小さな町である。ミシシッピ川にかかる橋はチェスターブリッジと呼ばれ、その橋のたもとにセガー記念公園が作られ、6フィートのポパイ像が立っている。セガーとはエルジー・セガーのこと。1894年この地で生れた、ポパイの生みの親である。ちなみに亡くなったのは、カリフォルニアのサンタモニカで(やっぱり成功したからにはハリウッドの近くに移ったのだろうか)、白血病のためにわずか44歳の若さだった。

 

 セガーの子供時代は、トムソーヤー並みに、ミシシッピで泳いだり、いかだ遊びをしたり、魚つりをする毎日だったとか。小さな時から漫画家になりたくて、12歳の時にチェスターのオペラハウスで仕事を始めた。1日に50セントを稼ぐ日々だったが、そのうち映画が登場すると、オペラハウスで映写技師になった。フィルムを巻き戻している間に、自分の描いた漫画をスクリーンに映し出していた。そんな自分が自慢で、腕にMPO(モーションピクチャーオペレータ)と入れ墨をしていたという。「ポパイ・ザ・セイラーマン」の姿がぼんやり浮かびはじめている。

 

 やがて、漫画家になる夢を追って、通信教育で勉強、シカゴに出た。シカゴヘラルドやシカゴアメリカンといった新聞社で漫画を描き、やがてハースト系新聞社に認められ、ニューヨークへ。そこで、「シンブルシアター」という漫画を描きはじめた。その時登場したのがポパイだった。1929年1月のことである。

 

 

 ポパイのモデルとなったのは、チェスターのフランク・ロッキー・フィーガル(1868−1947)。酒場で掃除をする、パートのおじさんだった。やせているが、町一番の屈強な男で、けんかに一度も負けたことがないという評判だった。午後になると、店の前に椅子を出して、ぼんやりと時間を過ごすのが日課だったとか。ただ一枚残されているロッキーの写真を見た。かなりの年配で、確かにパイプをくわえている。定年退職して悠悠自適のおじいさん風だ。後年、セガーから毎週小切手を受け取っていたという噂があったそうな。

 

 カナキリ声のオリーブは、ニューヨーク生まれの29歳。体重95ポンド、靴のサイズは14AAAAAA.(シンデレラをいなしたのだろうか) スリーサイズは上から下まで19の寸胴。でも101パーセントの女性ということになっている。彼女のモデルは、チェスターのドラ・パスケル・ウエリントン。なかなかきれいな人だが、果たして声はどうだったのだろう。

 

 セガーは死ぬまでに約650本の漫画を残し、死後は弟子のフォレスト・パッド・サーゲンが引き継いでいた。私が一所懸命見ていたのも、案外弟子が描いたものだったかもしれない。

 

 なぜほうれん草なのか。ロッキーさんが好きだったのか、と思ったが、意外なことに、1920年代に、医者たちがほうれん草の効用を懸命に説いたから、ということらしい。おかげで、1931年から1936年まで、米国人のほうれん草の摂取量は33パーセントも増えたという。

 

 イリノイは、どこへ行ってもリンカーンだらけかと思っていたが、チェスターだけは、リンカーンは影をひそめていた。かわりに、どこへ行っても、マクドナルドのトイレの中まで、ポパイとオリーブだらけだった。レイバーデーの週末は、参加者全員がポパイの格好をするという「ポパイ祭」まで開かれる。

 

 それにしても、町で手に入れた情報には、セガーの私生活のことは一切触れられていなかった。ドラさんが好きだったのか、結婚したのか、それとも。。。ポパイで名声を手に入れてから、わずか10年足らずで世を去っているのは、何かを象徴しているようでもある。

 

 ところで私はといえば、チェスターからの帰りに立ち寄ったワイナリーで、オリーブの絵入り特許グラスを買った。全米でそのワイナリーでしか買えないというグラスである。そのグラスでイリノイワインを飲みながら、深夜、テレビの前に座った。夜中の一時半に、今もマンガチャンネルで「ポパイ」を流している。

 

 40年ぶりぐらいに聞くテーマソングに懐かしさがこみあげ、思わず大笑いしたが、何しろワイングラス片手に、ノートと鉛筆持参である。そして画面を見ながら、メモをとった。101パーセントの女、オリーブは異常にやせ、長い足で、いつもハイヒールをはいている。女は弱いを売り物にし、男に尽くさせているようで、けっこう「ポパイ命」と言わんばかりに尽くしている。当時の理想の女性観に違いない。

 

マッチョのブルートは、オリーブを手に入れるためというよりは、ポパイと争い、勝つことを目的としているようだ。つまり、自分の「男らしさ」を自己確認しているだけ。ポパイはオリーブより背が低く、頭髪もなくジジ臭いが、力自慢でオリーブを獲得しているという「ナポレオンコンプレックス」の見本。男の物理的な力、つまり強い男が「男らしさ」を証明するという、今も変わらぬ男性観。ブルートより小さいポパイがいつも勝つというのは、「一寸法師」や「山椒は小粒でぴりりと辛い」がお好みの日本人好み。その一方で、正々堂々と正攻法で戦うポパイがいつも勝つというのは、アメリカの価値観だ、などなど。

 

 ふと、鉛筆を止めて、我ながらつくづく思った、やっぱり子供時代がいい。