「イリノイ探訪」

ジェノア

 

イリノイ南部の旅行で3号線を通った。ミシシッピ川沿いのこのあたり、セントルイスの北、グラフトンあたりからジュポ、ウオータールー、レッドバッドと南に下っていくと、ワイナリーがいくつか並んでいるのをガイドブックで知った。「イリノイワインなんて聞いたことないね」が第一声である。
 たまたま3号線沿いにある、レッドバッド近くのワイナリー「ラウ・ナエ・ワイナリー」に立ち寄った。疑心暗鬼だった。が、「ラッキー。へえ、思ったよりいけるじゃん」ということになって、甘い、飲みやすいフルーツワインをいくつか試飲、気が大きくなったところで、全米でここでしか買えないというポパイとオリーブの特許グラスを買った。

 


 3号線を北上して、次にウオータールーのワイナリーに立ち寄ってみた。湖岸のきれいなロケーションだったが、赤ワインを試飲してみてぎょっとした。まったく飲めなかった。歯にざらついた、しぶい感覚が”積もり”、口中にただれたような感覚が残った。ソムリエの資格をもっていなくても、ど素人の口にでもよくわかった。イリノイワインって、きっとこれからなんだろうなあと、心のどこかでうっすら期待していたかのような言葉が口をついて出た。
 イリノイの102郡のうち、40近い郡でぶどうが栽培され、栽培業者は100を数える。面積にして120エーカーほどだ。地形的には、シカゴのあるクック郡に始まり、ウイスコンシンとの州境に沿って、北部から西部、そして南部へと、ミシシシッピ川沿いにほぼC型にぶどう栽培地域が広がっている。ぶどうは、丘陵地帯で貧しい土質の方が、実が小さくて木は枯れているように見えても、味覚がぶどうに集中していいワインができるという。イリノイ産のぶどうの90パーセントはワインに、9パーセントが果物として売られ、残りがジュースとなる。醸造所の数も全州で20ほどあり、年間50万本のワインが製造されている。が、1990年にはワイナリーはたった5つしかなかった。この10年ほどのあいだに、イリノイのワイン産業は熱い視線が注がれるようになり、業界は急成長している。
 新しく生まれたワイナリーの一つが、デカブから北へ10分ほど車で走ったところにある、ジェノアという小さな町のメインストリートにある。プレーリー・ステート・マーカンタイル・アンド・ワイナリーという店である。店内で売っているのは、瓶入りの野菜やジャム、マスタード、コーヒー、スープといった食料品から本やカード、せっけんといった日用品、そして陶器やアクセサリーといったアート系のものまで、とにかくイリノイ産の物産だけである。もちろんイリノイワインも売っているが、この店のユニークなところは、店の一番奥に大きな発酵機やクーラーを置いて、ワインを醸造販売していることだ。ワインのブランド名は「プレーリー・ステート」である。
 店が出来たのは1998年、ワイナリーを始めたのは1999年と実に新しい。オーナーは、13年間高校の教師をしていたマリアとリック・マモザー。高校の化学の先生をしていた38歳のリックがワインを作る。趣味でワインを作っていたが、1時間かけて高校まで通うのに疲れたため、1999年に3エーカーの自分の家にぶどうを植え、ワインビジネスに転向した。「高校教師より面白い」と、リックさんが笑った。これまでのワインは、すべてイリノイ南部で収穫されたぶどうを使用してきたが、いよいよ2002年夏には自分の植えたぶどうの初収穫を迎える。
 「ジンファンデルやカリフォルニアワインは作りません。現在は約10種類を作っているけど、今年の夏からは14種ぐらい作れると思う。」
 品種は、カリフォルニアと違い、イリノイの冬に耐えられるかどうかが決め手だ。イリノイに一番適しているのはフレンチハイブリッドと呼ばれる品種で、ヨーロッパとアメリカの品種をかけ合わせたものだとか。セイバルブランクという種類のぶどうを使った白ワインと、シャンボーシンという種類から作られた赤ワイン以外に、エルダーベリーワイン、クランベリーワイン、ブラックベリーとブルーベリー、ラズベリーを混ぜ合わせたべりーワイン、それにアップルワインも作っている。フルーツワインはその成分を調合しなければならないため、ぶどう酒より作るのがむずかしいそうな。が、そこは元化学の先生、その微妙な調合加減が「教えるより楽しい」ところだろう。
 ワインビジネスはまだまだ新しく、このデカブ郡でもぶどうを栽培しているのはまだ5、6家族にすぎない。が、すでにリックさんの「プレーリー・ホワイト」は2000年度のゴールドメダルを獲得した。ノースウエスト・ヘラルド紙(2001年8月15日付)が「なめらかで、絹のよう。魚やサラダ、もしくはカクテルにぴったり」と評したリックさん自慢の白ワインをさっそく試飲した。ふーん。ワインのことなど何も分からない私は、ただ「飲んで、うれしくなった」という単純な理由で、喜んで一本買ってしまた。

 


 イリノイのぶどうの歴史はけっこう古く、1830年頃、西部のガリーナあたりで最初のぶどうが植えられたらしい。一番古いワイナリーは、モルモン教徒の町として知られるノーボーに、1857年にできたバクスターワイナリーとか。1900年初めごろまでには、イリノイは全米で4番目に大きいぶどう栽培州になり、全米で生産されるワインの25パーセントを作っていたと読んだ.が、例の湖のそばのワイナリーで飲んだワインの味を思い出すと、ほんまかいな、と疑う気持ちがぬぐいきれない。
 なぜ、そんなに盛んだったイリノイのワイン産業が一度衰退したかについては、イリノイ葡萄ワインリソース協会発行のワイナリーガイドは語ろうとしない。イリノイは、全米でも5番目にワインの消費量が大きい州で、1996年は2500万ガロンのワインを消費、販売額は7億500万ドルにのぼった。が、そのうち、イリノイワインが占める割合は1パーセントにも満たない。人々が急に庭にぶどうの木を植えたくなってきたというのも分かるというものではないか。