「イリノイ探訪」

ニューセーラム

 

 

 

 イリノイは なぜ「ランド・オブ・リンカーン」と呼ばれているのか。私がイリノイに移ってきて、最初に感じた疑問の1つだった。リンカーンは、別にイリノイで生まれたわけでもないのにー、と思ったのである。リンカーンのイリノイでの歴史は、中部にある小さな町ピータースバーグの近く、南へ2マイルほど行ったところにあるニューセーラムからはじまっている。

 

 リンカーンの祖先、サミュエルは1637年に、イギリスのヒンガムからマサチューセッツのヒンガムに移住した。何代か経て、140年後の1778年にリンカーンの父親、トーマスが生まれたのはバージニアである。1782年に一家はケンタッキーへ移動。1786年にトーマスは、ナンシー・ハンクスと結婚、リンカーンはそこで1809年2月12日に生まれた。リンカーンが学齢に達した頃、一家はオハイオ川を渡り、インデイアナに移住。1816年のことだ。移って2年後の1818年に、実母のナンシーが死亡、翌1819年にトーマスは再婚、インデイアナからイリノイに移ってきたのはそれから10年後の1830年のことだ。一家総勢13人の引越しで、3台のワゴンの一つをリンカーンは”運転”していた。

 

中部の町デカツアの近く、サンガモン川に沿った未開墾の土地に一家はやってきた。そこでリンカーンは、サンガモン川の航行を改善しようと、政治色のある最初のスピーチを行っている。21歳の時だ。翌1831年、西部開拓を地でいくようなリンカーン家の歴史にのっとり、父トーマスは再び他の土地に移っていったが、独立を望んでいたリンカーンはもう家族とは行動をともにしようとはせず、フロンテイアの町、25家族が住むニューセーラムに落ち着いたのだった。当時、シカゴの町も同じような大きさだったという。

 

 ニューセーラムでリンカーンは店員となって働いた。簡単な算数を学び、シェークスピアを読み、地元のデイベートクラブに加入した。小さい時から鍛えた力仕事と話のうまさが、リンカーンを若くして村でひとかどの人物にしていたという。

 

 翌1832年には、すでにイリノイ州議会の議員候補となっていたというから、相当なデイベートの達人だったのだろう。が、地元の改善と教育を訴えた初めての選挙には負け、働いていた店もつぶれた。パートナーのウイリアム・ベリーは別の店を購入したが、この2番目の店もうまくいかず、リンカーンは借金を抱え込んだ。べりーは、店の儲けを全部飲んでしまうし、リンカーンは座って本ばかり読んでいて、ビジネスには関心がなかったというからつぶれて当然だろう。1833年5月、リンカーンは、ニューセーラムの郵便局長にもなった。といっても、切手のなかった時代のことである。局長リンカーンは、帽子に手紙を入れて配達した。受け取った人が代金を払う仕組みで、30マイル以内なら6セントだったとか。ジャックソン大統領に任命された仕事は、局が閉鎖される1836年5月30日まで続けられた。その後、郡の測量技師代理も経験している。法律の勉強を望みながら、生活のためにはさまざまな職業を経験している。

 

 1834年、24歳の時に、いよいよウイッグ党の党員として州議員に当選、宿敵の民主党員、当時21歳のステファン・ダグラスに出会った。当時、リンカーンが議会に提出した法案は、サンガモン郡のソルトクリークにかかる橋を有料にせよ、とか、インデイアナからサドラスまで州道を作れ、といった具合に、あくまでも地元の改善を訴えている。1835年、パートナーのベリーが死んで、借金はますますふくれあがる一方で、1836年、リンカーンは州議員に再選され、ウイッグ党の党首となった。1837年に、イリノイの州都をバンダリアからスプリングフィールドに移すことに尽力すると、リンカーン自らもニューセーラムを去り、スプリングフイールドに移っていった。

 

 リンカーンがニューセーラムにいたのは1831年から1836年までの6年間だが、彼はイリノイを西進の終着点に選び、彼の人生はここで大きく転回、政治キャリアを開始することになった。イリノイが、「ランド・オブ・リンカーン」と呼ばれるゆえんだろう。

 

現在、ニューセーラムは、当時の村を再現したテーマパークである。テーマパークといっても、デイズニーランドや日本におけるそれのように、非日常の空間を創り、いやにごてごてと飾りたて、客が遊び、お金を落とすのを第一目的とするものではない。1920年代にはすでに州の史跡に認定されていた場所で、訪ねた者を1830年代の世界に自然に誘っていく教育の場となっている。

 

 

 

 うっそうとした森の中を一本の道が通り、その両側に23軒の家や店が建ち並んでいる。1830年代に建てられた建物も一つだけそのまま残されている。リンカーンがベリーと組んで始めた店も二軒とも再現されている。鍛冶屋に酒場、雑貨屋、粉ひき場、学校に教会、医者と小さな建物がのんびりと続く。道端では昔の服装をまとった女の子が機織りをしたり、バイオリン弾きを演じている男の人もいる。昔のパイオニア時代の村の生活を想像しながらぶらぶら歩いていると、ここから生まれた政治家リンカーンの才能と、歴史に自分の名前を残したいと渇望したリンカーンの意志力と野望に改めて感嘆する。リンカーンとベリーの店では人々が集まり、天気から政治までさまざまな議論がえんえんとたたかわされたに違いない。それとも、たたかわせたくとも、リンカーンには村の人々は物足りなかったかもしれない。

 

 リンカーンがいた時代のニューセーラムは活気があったが、彼がスプリングフィールドに移るころにはそろそろ斜陽の影が落ちていたという。そして現代のニューセーラムにはー。こもれ陽がさしこむ森の中を恋人と手をつないでぶらぶら歩いてみたい、そんな若き日の初々しい思いにふとかられるような、古い映画の一シーンを思いださせる、のどかな古き良き時代がある。