来いな、ジャマイカ 

読売アメリカ紙 旅レポート

(2002年春)

 

 トロント発のエアーカナダの機中では、フランス語とフランス語のアクセントが強い英語がとびかっていた。乗客の大半はアフリカ系の人々である。異世界に向かっていく期待感はいやがおうでも高まっていた。トロントを発ってからわずか3時間半後だった。機体は、カリブ海に浮かぶジャマイカ島のモンテゴベイ空港に降り立った。

 

 タラップの上で早速、南国特有の開放感にあふれたむっとした風に包まれ、思わず笑みがこぼれた。行き先は、空港から西へ1時間、夕陽で有名なネグリルである。通りで日本語の社名をつけたままの車を見かけた。思わずジャマイカと遠い日本との関係に思いをはせた客を乗せて、タクシーはネグリルにあるレイドバック・ヒップな「ロックハウス」に向けて夜道を走った。テレビや電話、ファクス、コンピュータ、もちろん携帯電話もない非日常の時間の始まりである。

 

 翌朝、バンガローのカーテンをあけてびっくりした。たわわに実がなる熱帯の木の向こうに、くっきりと海と空を切り分ける水平線が広がっているではないか。朝6時、太陽はまだ低く、朝の冷気がすがすがしい。早速、誰もいないプールで、岩壁に打ち寄せ砕ける波の音を聞きながら、水平線に向かって泳いだ。毎日コンピュータの前に座り続ける身体が、ゆっくりとほぐれていくのがはっきりと感じられた。大きな葉が一枚ぱらぱらと枝から離れていく音すら聞える静けさと、空と水との一体感が心地よく全身にしみ通っていく。

 

 ひと泳ぎしたあとは、カリブ海と向き合って本物のジャマイカンコーヒーを飲む。苦味のないこくの強さが魅力的だ。あたりでは時折鳥がさえずり、しゅろの葉陰から小動物が動き回る音がする。海面ではドルフィンの尾が波間に浮かんでは消えていく。海は、太陽が高く上るにつれ、緑色を増す。透き通るように輝くエメラルドブルーの水に心が揺らめきはじめると、魚たちと戯れる時間である。

 

 「ロックハウス」の魅力は、バンガローが岩場に建っているので、自分のバンガローの前の海に入ると、すぐさまそこでさまざまな熱帯魚を見ることができることだ。赤、青、黄、黒、銀色とカラフルな海の世界の探検にしばし時間を忘れる。いかやたこが泳ぎ、ロブスターが岩陰から顔をのぞかせていた。もちろん小さなグラスボトムボートにのって、30分ほど沖に出、人気リーフでのスノーケリングはすばらしい。指先につかんだパンをめがけて、無数の山吹色の魚が寄ってくる。魚たちの口がくしゅくしゅと優しく皮膚を突くときのいとおしさは格別だ。小さな海亀の頭をなで、なまこを抱き、白いうにの吸引力に驚き、海中世界を堪能したあとは、プールサイドのデッキに横たわり、海風に身をまかせて、海面に光る銀波を眺めるカクテルタイムだ。

 

 ジャマイカの特産品といえば、コーヒーとラム酒だろう。この時とばかり、熱帯魚にも劣らぬ色鮮やかなラムカクテルをいろいろ飲んだ。ラムパンチはもちろんのこと、黄色いイエローバード(オレンジとパイナップルジュース)、白いビニャコラーダ(ココナッツミルク)、紫色のパープルレイン(ライム)と、時には強烈なラムの香りに顔をしかめながらも、ジャマイカの海にも負けない、やめられない誘惑の味を求めて飲みつづけた。

 

 ジャマイカで最高の日没と言われるネグリルの夕陽を見るには、レストラン「リックズカフェ」が有名である。店に入ると、一瞬身がこおばるほどのレゲエの大音響に見舞われた。カリブ海に沈む世界一の夕陽を見ようと、世界中から集まった観光客を前にしての生演奏である。髪をドレッドロックスにしたシンガーが、レゲエの神様、ボブ・マーリーの歌をえんえんと歌い続けた。レゲエの本場ならではの強烈な歌声にのせて、地元の若者たちが黒い筋肉を光らせ、岩場から見事な飛びこみをしてみせる。真っ赤に染まった海面に向かう一瞬の黒いシルエットに、人々はカクテル片手に大歓声をあげ、一日の終わりをいつくしむ。

 

 ネグリルは、11キロにわたる白砂のビーチでも知られている。ハワイのワイキキビーチは高層ホテルが競うように立ち並んでいるが、ここはしゅろの木より高い建物は建てられないという規則があって、のんびりとした田舎風だ。ビーチに並ぶカフェのあちこちからも、今は亡きボブ・マーリーの歌声が聞えてくる。人々は、歌声と強烈な太陽の日差しを浴びながら、パラセーリングにヨット、モーターボートといろいろなマリンスポーツを楽しむ。

 

 海にちょっぴり飽きた頃、島のもう一つの顔を探しに出かけた。さとうきび畑や道端に寝そべっている牛たちを横目に、島の南西部の山の中にあるジャマイカで最大の滝、YS滝に向かった。YSとは、ここで砂糖とラムを作りはじめたキャプテン・スコット(S)とイエ−ツ・サントス(Y)にちなんでつけられた名前だ。120フィートの高さから水が怒涛のごとくなだれおちる大滝は壮大な眺めである。うっそうとした熱帯林に囲まれた大きな滝壷のそばまで行くと、あたりがかすむほどの水煙がもうもうとあがり、ひんやりとした空気が頬をなでた。滝は10段ほどあり、観光客たちはロープによじ登り、あふれ流れる水に落ちるターザンごっこを楽しんでいた。

 

 島の南をマングローブの林に沿って流れるブラックリバーは、300匹のわにをはじめとするワイルドライフで知られる。透き通tった水は、川岸の木々が映って茶色に淀んで見えた。地元の老人がカヌーで魚つりをしているそばを、気持ちのいい川風に吹かれながら、川下りをした。珍しい熱帯の鳥や植物が目を楽しませてくれるが、なんといっても一番の呼び物は船に近寄ってくるわにだろう。わには100年生きるが、卵がかえるのは産んだ卵の5パーセントにすぎず、今は絶滅の危機にあるという。とはいうものの、観光客が差し出すチキンを食べ飽きたか、えさには見向きもしないわにも中にはいて、繁殖と管理のむずかしさが想像された。

 

 ジャマイカがコロンブスによって発見されたのが1494年。スペインの植民地となり、さとうきびのプランテーションで働く労働力として、アフリカから黒人が奴隷として連れてこられた。1655年、統治がイギリスに変わり、プランテーションの拡大とともに、奴隷人口も増加した。奴隷解放は1838年、イギリスがジャマイカの自治を認めたのが1959年、そしてイギリスから独立を果たしたのが1962年である。2002年はちょうど独立40周年にあたる。が、独立記念日の8月6日は、ネグリルの町では特にイベントもなく、静かに過ぎた。「40年間のこの国の発展はすばらしい。でもこれからも、すべての人々にとってよりよい国になるよう、がんばらねばならない」と、ラジオから流れてきた大統領の演説を人々はどんな思いで聞いていただろう。人口の57パーセントの人々が、イギリスの統治時代の方がよかったと思っているとの報告もあるらしい。中には、アフリカへ戻ろうと呼びかける人々もいる。ボブ・マーリーを信奉するラスタファリストである。「ロックハウス」の近くにあるレストラン「キャロット」のオーナー、ジョンもその一人で、自然を大切にし、自然食を食べること、そしてアフリカ回帰の意義を熱心に話してくれた。

 

 日がな一日道端で、いろいろな果物を前にして座りこんでいる地元の人々の日々の生活が気になりはじめたら、いよいよバケーションも終わりである。アメリカ中西部に住んでいると、ジャマイカはハワイよりも近く、わずか3時間半で旅のエキゾチシズムに触れられるのがうれしい。水の心配はしなくてもいいし、言葉も、地元の人々同士はピジョン英語のパトワ語を話しているが、基本的にオーソドックスな英語の世界である。ジャマイカ料理は、コンク貝のスープをはじめとしたシーフードがおいしく、日本人の口によくあって違和感がない。通りのあちこちから漂い出てくるジャーク・チキンの焼けた匂いは抵抗しがたい香ばしさである。

 

 あえてジャマイカの難を言うとすれば、町から町への交通手段が数少なく不便なため、ショッピングがむずかしいこと、そのため事前に島にいくつかあるリゾート地をよく調べ、絞りこむ必要があることぐらいだろうか。

 

 ジャマイカー必ずもう一度来るぞ、と誓いたくなる南の楽園である。