ごあいさつ

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生まれてはじめて着た着物です。最初で最後でしょう。

 

「赤い靴はいてた女の子、異人さんに連れられて」かどうかはわかりませんが、いよいよ私のアメリカ生活も18年目を終え、19年目に突入しようとしています。これって、娘の年と同じです。カリフォルニアで生まれた娘もいよいよ高校を卒業し、”成人”となって親元を離れていきます。寂しいですけど、大きなお腹を抱えて渡米した私が、これからはじめてやっとアメリカを楽しむ?時間を持てるようになるということでもあります。それで思いきったのが、このホームページ。50の手習いでがんばります!

 

 今私は、北イリノイ州立大学の人事部の給料課で、パートのおばさんをしています。つまり、公務員のはしくれです。(おっと、パートのおばさんの扱いは、日米でぜんぜん違います。要説明) この18年間、カリフォルニアで6年、サウスダコタで7年、そしてイリノイへと、アメリカ大陸を東へ、東へと移動してきましたが、そのあいだずっと日本語を教えたり、日系新聞の記者をしたりと、いつも日本語や日本人、日系コミュニテイと関わってきました。

 

でも、ここイリノイではじめて、日本語や日本人とは一切関係ない、アメリカのシステムに毎日どっぶりと浸かっています。つまり、同僚も上司もアメリカ人で、考え方、仕事のやり方も全部アメリカ式(当然!ですけど)これって、同じように「アメリカで働いている」といっても、日系企業でアメリカ人と働くのとはじぇんじぇん違うんですよね。だって、日系企業ではしょせん日本人が「偉い人」なんですから。

 

 毎日、アメリカ人とアメリカのシステムにもまれにもまれて、日米の違いをいやというほど思い知らされてます。それに自分の英語がどんなに貧弱か、ということも。私の場合、何年アメリカにいても絶対に上手にはなりませんーむしろ、へたになったと家族には言われてます。が、そんなへたな英語でも言いたいことだけははっきり言うから(相手が私の言いたいことがわかっているかどうかは??ですが)、今にも首になりそうな綱渡りを続けてきました。が、それでも、アメリカの「宮仕え」も早なんとか5年です。

 

18年アメリカにすんで、5年間アメリカのシステムにもまれて、やっと今、アメリカで自分の居場所を見つけたって感じでしょうか。つまり、言いかえれば、「もう怖いものなし」って感じですね。ここまで”傲慢”になっちゃうと、日本にはとうてい帰れません。もう「アンネ」(ふるうう)もいらなくなるこれからの私ー今からはもう、日本だとかアメリカだとかにはこだわりたくないと思ってます。日本もアメリカも私の足の下、でも、目はずっとずっと遠く、世界の果てをじっと見つめていたいです。こんな私ですけど、どうぞよろしく!!